2022年11月、夏のカリフォルニアの弁護士試験に合格。MPRE、Moral Character& Fitnessなどその他の要件は既に満たしているので、12月7日アメリカ大使館でAttorney Oathをすることによって、カリフォルニア州の弁護士として活動できることになった。アメリカ大使館に行く直前にパスポートを忘れたことに気がついたり(マイナンバーカードで大丈夫だった)、PCを持って行ったら持ち込めないからロッカーに預けてきてと受付の人に言われて往復ダッシュ5分位で溜池山王駅のコインロッカーにPC預けたり(体鍛えておいて良かった)、窓口の人が「ここにサインして」と言われて手を上げる宣誓無しでサインしたりと(多分担当者がやり慣れてなかったんだろう)、ハプニング続きでいかにも私のAttorney Oathだなと笑った。小学校の時に見た二つの弁護士に関するドラマ(ポーラテレビ小説「ひまわりの道」とNHKドラマ「帽子とひまわり」)を見て弁護士になり、困っている人たちを助けたいと思って以来何十年も経ってしまったし、アメリカのロースクールを卒業してからも20年弱経ってしまったけど、今まで色々と協力、助力してくれた方達にいいご報告ができることにホッとしている。
そもそもアメリカのロースクールに入りたいと思ったのは、ポニー・キャニオンというレコードレーベルから広告代理店のコスモ・コミュニケーションズ(現博報堂Gravity)に転職してから5年くらい経って、やっぱりエンタメ業界に戻りたいけど、これからエンタメ業界に戻るなら、法律の知識を身につけた方が有利なのではないかと思ったから。その当時、著作権はおろか、エンタテインメント法を教えてくれる大学(その当時は、規制改革前で、日本にはロースクールというものは存在しなかった)は日本にはなくて、海外に行って勉強するしかないと考えた。そんなある日、内藤篤さんの、「エンタテインメント・ロイヤーの時代」という本を読んで、そうか、アメリカのロースクールを卒業して日本にはほとんどいないエンタメ専門の弁護士になればいいんだという教示を得たのである。この本は今も私の座右の書。
ただ、私は法学部卒業の資格を持っていないので、ロースクール3年目にあたるプログラム、LLMに入学できない。かといって、ロースクールのJD Program(3年間)に行くお金も英語力も私にはない。色々調べた末、働きながらでも法学部卒業の学士の資格が得られる通信教育部に学士入学することにした。いくつかの大学の法学部を調べ、最終的に中央大学通信教育部で勉強を開始、卒業した後に法学学士の資格で、アメリカのロースクールにLLM入学申請することにした。
あの頃は強烈に忙しく、ご飯食べる時間も休日もままならない広告代理店の媒体担当としては、周りの協力なしには勉強することすらおぼつかなかった。単位を取るために学校に通う時間は部下に仕事を代わりにやってもらったし、レポートを書くためにはお金を使って教材を買うことで図書館で調べる時間を節約した。週末と有給を全部潰してレポート提出と日本全国での授業を受講し、卒論はGWの3日間くらいで書き上げて、担当教授の長内了先生に「君の卒論は小説としては面白いけど、法学部の卒論としては微妙だねー」と言われながら(でもそうおっしゃった先生は、私がロースクールに願書を送るときに、英語で推薦状を書いてくださった)なんとか中央大学を2年半で卒業した。この通信教育卒業というのが、のちにアメリカで弁護士試験を受験するのに障害となるのだが、中央大学通信教育部の方のご協力で、通教も通常と同じで、アメリカのDistance Programとは違うとBar Examinerを説得することができた(ロースクール卒業からカリフォルニア弁護士試験までの道のりも色々あったけど、過去にブログを書いているのでご興味ある方はこちらを参照してほしい)私が説得に成功した後、中大通教で勉強してロースクールに入った人達が結構いるけれど、カリフォルニアにおいては、今は通信教育卒業も事前に別の試験を受けることなく弁護士受験は可能だと思う。そういう人達に何かが残せたのなら良かった。
次は不得意だった英語を克服すべく、1年間TOEFLの予備校に通った。なかなか成績が上がらなくて、ギリギリに帳尻合わせのように、593点(600点がロースクールの最低点と言われているので、足切りにあったロースクールもあるはず)を出した。すでにMBA入学が決まっていた大手広告代理店の友人が、使い終わった教材を全部私の家まで運んでくれ、めげそうになった時にいつも応援してくれた。本当にありがたかった。
ロースクールの選択に関しては、1990年代後半、ネットではそれほど情報が取れなかったので、ニューヨークに行って、Barnes & Nobleという本屋でアメリカのロースクールのガイドブックを購入し、エンタメ法を教えてくれそう、かつLLMのプログラムがあるロースクールに片っ端からメールをして、入学が可能かどうか問い合わせた。TOEFLの素晴らしくもない点数と私のエンタメロイヤーになりたいというエッセー(予備校の指導員がライターで、私の志望動機をキラキラした素晴らしい文章にしてくれた)で入学を許可してくれたのは、申請した10校中5校。その中で選んだのは、New YorkにあるBenjamin N. Cardozo Law School という、ユダヤ人の学校Yeshiva Universityのロースクール。NY在住の知り合いから(国連出身の彼に、私は大胆にも後に著作権法の宿題を校正してもらったりしていた)「エンタメを勉強したいなら、エンタメが存在するNew Yorkのロースクールに入学するのが一番」というアドバイスが効いたし、当時Cardozoは、US NewsによるIntellectual Property分野の番付では全米で確か4位だった。Cardozoは、エンタメのロイヤーがたくさんいるユダヤ人のコミュニティに属する学校なので、知名度も高い有名な弁護士が授業を提供してくれるし、イベントのゲストもすごかった。ある日ギターリストのナイル・ロジャーズが目の前で話をしているのを聞いてた時には、本当に幸せだと思った。ユダヤ人優遇により、エンタメ法の授業から外され、外国人生徒担当教授トニー・ファイン(彼女は後にフォーダムに移り、多分話題のK氏含み、その後の日本人留学生のケアもされている)の計らいで学長にクレームを入れた(増員してくれて入れることになった)こともあったけど、総合的に見てこのロースクールを選択したことは間違ってなかったと思わせる学校であった。また、Carodozo 卒業後に、NYUのEntertainment Marketing Courseに入学し、色々な授業を体験、ネットワークを広げたり、今は亡き渡邉憲一さんが紹介してくれたエンタメ弁護士のハンクと一緒に仕事したこともいい思い出である(実は、ハンクは、私自身のNYでのGarnishment Orderのトラブル相談解決をてつだってくれている、本当にありがたい。)
Cardozo Law Schoolを卒業し、NYUでコース終了して約20年。その間にいろんなことはあったし、こうして過去のことを書いていると、本当に色々な人たちの手助けがあったからこそ、弁護士になれたんだなあと感慨深い。帰国してからエンタメやITの会社で法務を経験してきたし、行政書士になってからも経験・知識をかわれてこの分野の仕事を頼まれることは多い。日本で仕事をする限りにおいては、それほど弁護士の資格は必要ないとは思うものの、ロサンジェルスはニューヨーク以上にエンタメの本拠地だし、私が過去勤務したIT系の会社の本社はシリコンバレーあたりに多く、CA企業やCA在住の日系の方達の相談にも乗っていきたい。これからどうすれば今までのご恩を違う形で返していけるかを考えなくては。もちろん、行政書士の業務も同時にかつもっと極めていきたい。
(写真は、ロングアイランドから見たブルックリンブリッジとマンハッタンの風景。留学のために渡米し、JFK空港から橋を渡ってあっち側=マンハッタンに着いた時の嬉しさと興奮は今もはっきりと覚えている。橋の向こう側に目標があって、そこにたどり着くために頑張ろうという気になれるので、うちに飾ってある絵もそうだし、同アングルの写真の何種類かを交代でPCの背景にして、日々自分を叱咤激励している)
宣誓も済ませて、晴れて登録、おめでとうございます。
これからのご活躍を楽しみにしています
ありがとうございます。これからこの資格最大限仕事に活かせるようにしたいと思っています。
合格体験記、ご苦労様でした。受験までのご苦労や勉強の仕方がよく分かり、参考になりました。
ありがとうございます。受験・合格された後に、その経験を後に続く人たちにシェアしていただけると幸甚です。